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一卵性親子 [■ 生い立ち]

今日は、私の実母のお話しをします。

私と母は性格もよく似ているのですが、とにかく外見と、体質がそっくりです(T T)

自称「一卵性親子」です(^^)ヾ

子供の頃から、母親似と言われていましたが、年をとるごとにどんどん似てきて・・・

先日、スーパーで、母の知人に「あら、さっちゃん?久しぶり~」(母・幸子)(偽名)

と声をかけられてしまったのだ( ̄▽ |||)

15年ぶりぐらいだったらしいので、今よりは少し若い母のイメージが残っていたのだろうけど・・。


私が旦那と結婚することを、母に報告しに行った時のこと・・・

当時私はまだ若くて今よりは痩せていて、可愛かった(笑)  母はちょっと、おでぶちゃん。

母は旦那に 「将来こんなになるけど、いい?それでも結婚する?」

そう言って自分の体を、ドンと突き出した。

「ハハハ・・はい、いいっすよ(苦笑)」

それから十何年・・・その予言通り、着実にポッチャリし(そんなに太ってはないんだけど・・たるみ?)

おばさん体系化している私σ(*´∀`*)アハハ

シワやほうれい線とか、髪質とか、アゴのたるみの感じとか・・変な所がどんどん似ている。

体質で言うと、30歳過ぎ頃から、自律神経系の不定愁訴が現れたことや、低血圧、性欲減退etc..

これまた、同じ道を歩んでいる。ということは、更年期も荒れ模様が予測される・・。

不思議なことに、たまに電話をかけて

「今日は頭がいたいんよね~」と言うと「あら、私もよ~」

「今日、歯がうずくんよね~」 「あら、私も」ということが、しばしばある。

遺伝子おそるべしっ!!

しかしっ・・・唯一、似て欲しいのに全くにていないことがある・・・・・

「母はFカップ☆」「私はAカップ♪」   トホホホホ・・・・・。

                                          ~つづく~

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親子の悲劇 [■ 生い立ち]

    昨日お話しした、私と母の一卵性親子体質は、思いもよらない所にも及んでいて…
    そのことが、ある悲劇を巻き起こしてしまったことがあるんです。
    今日はそのお話しを聞いてください。

うちの両親は、私が中学生、妹が小学生の時に離婚した。

毎日けんかで、父は怒鳴り…母はいつも泣いていた。何ヶ月そんな日々が続いただろう…。

泥沼劇ののち、結局、母が1人で家を出て行くことになった。

私はもう中学生で、色々な事情を把握していたから、それが一番いい方法だと納得した。

あんなに啀み合う位なら、その方がいいだろうとも思った。

しかし、小学生の妹はそうではなかった。

何も分からず急にお母さんがいなくなって、嘆き悲しんだ。捨てられたとさえ思ったみたいだった。

そんな妹のために私は家事をしたり、妹が淋しくならないように頑張った。

私が高校生になり、妹が中学生になった頃に、祖母が仕事を辞めたので

それからは祖母が家事もしてくれて、母代わりに私たちを育ててくれた。

それから数年後、私は結婚して、実家の近くのアパートで新婚生活を始めた。

その頃、OLの妹が、仕事帰りにうちに来るというので、夕食を作って迎えた。

妹に私の手料理を食べさせるのは、あの子が小学生の時以来だった。

「わぁ~!お姉ちゃん、料理出来るんだぁ~!美味しそう~」

小学校の頃のことは忘れたみたいだ…そんなことを思っていると、

急に妹がワーッと泣き出した。

「どした?なんか変な物入ってたぁ!?」

「このハンバーグ、お母さんの味と一緒~(泣)びっくり~(泣)懐かし~(泣)」

そう言って涙と鼻水をたらしながら食べ続けている。

「ハンバーグなんて、誰が作っても同じような味よ!ったく~」と言って笑いとばしてみたものの

なんだか、苦しくて…せつなかった。

「この酢の物も、甘いんだか酸っぱいんだか・・ビミョーな味がお母さんの味にそっくり!」

そう言って今度は泣き笑いしながら食べていた。

私が家事をしていた頃のことは、忘れているくせに、母の味は覚えているのだから不思議だ。

ただ、私は母に料理など、まともに教わったことなどないのに…

やっぱり、遺伝子の関係だろうか?こんなところにまで一卵性ぶりが及んでいようとは…。

そして、妹の心の傷は、私の想像より、はるかに深かったのだと、改めて感じさせられたのだった。

その後の私達の親子関係は、ある事をきっかけに、復活した。

そのお話しも、またいつか聞いてくださいね!          ~つづく~

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親子関係復活物語 [■ 生い立ち]

私の両親は、私が中学生の時に離婚しました。
以前、その時のお話しを少し聞いてもらいましたが…
よかったら、記事を御覧下さい→http://blog.so-net.ne.jp/syufuri-na-jory/2008-01-30
今日は、その後の展開をお話しします。ちょっと長くなりますが、読んでやってください

母が家を出て行って、数ヶ月はどこで何をしているかさえ分からなかった。

ある日、こっそり母が私に電話をかけてきた。

隣町にアパートを借りて一人で住んでいる。保険の外交の仕事を始めた。ということだった。

住所を聞き、妹と二人で、父と祖母に内緒で会いに行った。

母は「ごめんね、ごめんね」と私達を強く抱きしめて泣きじゃくる。

妹も「お母さ~ん!お母さん!帰ってきて~」と泣きじゃくる。

私は妹に「帰って来てって言っちゃダメ!」と叱った。そんなことを言ったら母がつらくなると思った。

「大丈夫よ!おばあちゃんもいるし、心配せんでいいよ。ここ位ならまたいつでも来れるから

ずっと専業主婦だった母が、保険の仕事をして、この狭い部屋で一人で夜を過ごしているかと思うと

私は、胸が苦しくて張り裂けそうだった。色んな話しをしたが、何を喋ったか全く覚えていない。

帰り際に、妹がまた「お母さん、お母さん」と泣いて、母にしがみついて帰りたくないと言い出した。

母も、もう立っていられないほどになって、泣いている。

私はタクシーをとめて、妹の手を無理矢理ひっぱって押し込んでから、母に

「大丈夫よ!また来るね!バイバイ」そう言って、振り向かずにさっさと帰った。

でもさすがに、帰りのタクシーの中では、涙があふれて止まらなかった…。

そんな訳で、それからは、あまり妹を連れて行きたくなくて、しばらくは電話でたまに話す位だった。

私が高校生になると、母の家が、学校の帰りに寄れる場所だったので

ちょくちょく一人で遊びにいっていた。妹も高校生になった頃からは、そうしていたみたいだった。

その頃には父も私達がたまに母に会っていると分かっていたようで

「母さんは元気か」等と言うほどに、みんなの心のわだかまりもすこしづつ解けていた。

そして、またまた時は流れ、私の結婚が決まった時のこと…

父が「母さんにも式に出てもらえ」と、言ってきた。あんなに憎み合って、罵りあっていたのに…

私は大喜びで母に伝えた。

ところが、母は「母さんは、あんた達を捨てて出て行ったんだから…あんた達をここまで育ててくれた

父さんやおばあちゃんに、悪いから…けじめとして、私は式には出られない」


そう言って式には出なかったが、花嫁の控え室で私のことを見守っていてくれた。

家族はバラバラになったけど、この頃には、誰の心にも苦しさはなくなっていた。

母も遠慮なく私の新居に来るようになり、今に至る。

余談だが…私が長男を出産する時、旦那が出張中に、夜中に家で急に破水したので、父に連絡をして

病院まで連れて行ってもらった。なかなか陣痛が来ず、陣痛室で待機していたら

母が慌てて駆けつけてきた。それが父と母、10年振りの再会だった。

「おう、元気か…」「あんたも元気だった?」そんな二人のぎくしゃくした会話が気になって、思わず

「あ、もう二人とも帰っていいよ」と言った。

「産まれるまで、いるよ」二人が声を揃えて言ったりして…変な感じだった。

結局昼頃、分娩室に入って無事、出産したわけだが…その時すぐ入ってきたのが、もちろん父と母。

なんか、色々あったけど、初めての出産、そして父と母にとって初めての孫の誕生を

このメンバーで迎えられるなんて…生きてて良かった。

そう心から思った瞬間だった。

時の流れが解決してくれることってある。不幸なんて、そう一生続くものじゃない。

今がどんなに苦しくても、時が経てば、自然に苦しくなくなる日が来る。幸せにだってなれる!

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またいつか、この両親の波乱万丈ぶりを、詳しくお話しさせてもらいますネ(^^)ヾ
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破天荒な親達(その1) [■ 生い立ち]

今日は、私の両親の、ちょっぴり破天荒な人生について、お聞き頂きたいと思います。
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時は、昭和45年…
当時・・橋幸夫似の父、幹夫22歳 由美かおる似の母、幸子23歳(共に仮名)

若い2人は愛し合い、そして、幸子のお腹の中には2人の愛の結晶…
そう、つまりじょり子が宿っていた。

・・・・が、しかし!この時まだ2人は結婚していなかった。
それどころか、幸子は19歳の時、一郎という男性と結婚していて、
2年程普通の結婚生活を送っていたが不仲になり別居中…という時に、
幹夫と知り合い恋に堕ちたのだ。

別居中ではあったが、まだ正式に離婚は成立していなかった。 つまり、戸籍上は一郎の妻のまま、じょり子を身ごもり、産んでしまったのだ。[もうやだ~(悲しい顔)]

(そこで、ふとじょり子は一郎の子ではないのか?という疑惑にかられるが、そこは間違いなく 幹夫と幸子の子だと言う。完全に別居していて、父としか関係がなかったことは神に誓う…と 後々母から聞いたので、とりあえず、そう信じることにした。)

その後、やっと離婚は成立したが、女性は離婚してから6ヶ月間は結婚してはいけなかった為
離婚成立から半年後、2人が籍を入れようとしたとき、じょり子はすでに満1歳を超えていた。

そして…またまた信じられないのだが
ここで初めて、2人は自分たちの両親に結婚の報告をするのだ。

私の祖母(父の母)シゲ、当時45歳(現在、橋田壽賀子似)母1人、息子1人の2人暮らし。

学生の頃から、悪さばかりしていた息子に手を妬いていたシゲは、この日もまた、
とんでもない事を聞かされる羽目になる。

この日、何の前ぶれもなく、幹夫は、由美かおる似のゴーゴーガール風の幸子
色黒でギョロ目の、ヨチヨチ歩きのじょり子を連れて帰宅した。

「母さん、この娘、俺の子なんよ。だから俺、結婚するわぁ。こいつ、幸子。」

「幸子です。よろしくお願いします。この娘、じょり子といいます。幹夫さんがつけた名前なんです。」

「あわわわわわ~~~Σ(○д○lll)」

(祖母はこの時は、本当に心臓がバクバクして、止まりそうだったと言っていた。)

急に、どこの誰かも分からないちょっと小派手な女と子供が来て、
「今日から嫁です。孫のじょり子です。」
と言われても誰だってビックリして、「はい、そうですか」と言えはしないだろう。

そして、その時シゲは、ふと
「本当に幹夫の子なんだろうか…よその子を連れて来て、
幹夫の子だと言って、幹夫をを騙してるんじゃないか…」

と頭をよぎったらしい。

その時、じょり子がヨチヨチとシゲに近寄ってきたので、抱き上げて顔をマジマジと見てみたらしい。
そしてシゲは「プーッ」と吹き出して、大笑いしながらこう言ったのだと

「こりゃあ、幹夫の子に間違いないわぁ!そっくりだわ~!
色が黒くて目がぎょろっとして…死んだじいさんにもそっくりだわぁ~!」


そして、次の瞬間シゲは、涙があふれて止まらなかったという。声を出してオイオイ泣いたと。
幹夫のバカさ加減など、吹っ飛んで、その色黒でギョロ目の娘が、愛おしくてたまらなくなって
涙が止まらなかったのだと…。
シゲは、幸子に抱きついて
よく幹夫の子を産んでくれた。これからは安心してここに住めばいい
と、言ったそうだ。
幸子も今までこらえていたものが一気にこみ上げてきて、
シゲの腕の中でしばらく泣いたと言っていた。


この辺りの話しは、母と祖母から、何度も聞かされていたことを元に、書いたのだが…
2人の話しに、ちっとも幹夫が出てこない…[たらーっ(汗)]
2人が抱き合って泣いていた時、幹夫は一体何をしていたのだろう。

こうして、めでたく幹夫と幸子は結婚し、シゲとじょり子との4人家族が誕生した。

めでたしめでたし・・・・じゃないんですよね~~[もうやだ~(悲しい顔)]             ~つづく~

追記:私がこの世で1番大好きで尊敬している大切な人は、このおばあちゃん(シゲ)です♪
    只今83歳!(あ、いやもちろん旦那も子供も大切ですが…)


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破天荒な親達(その2) [■ 生い立ち]

今日は先日の、ちょっといい話しとは裏腹に…暗い話しになってしまいますが聞いてください。
この「破天荒な親達」はぶっ飛んだり、暗くなったり、はちゃめちゃなんですから(笑)
その名も「喜怒哀楽エッセイ」ということでお許しを(o_ _)o))


大恋愛の末、とんでもない結婚生活をスタートした両親(幹夫と幸子)だったが、
おばあちゃん(シゲ)の大きな心と愛…そしてお金にも助けられ、
なんとか幸せな生活を送れるようになった。
4年後、妹(友美)も生まれた。
それからは、家族5人、平和な生活を送っていた。
後から聞くと、その間にも夫婦の危機はあったらしいが、私にとっては、普通の幸せな家庭だった。

小学校高学年頃になると、夜遅く、両親が大喧嘩をする場面に遭遇することが多くなった。

父は、鬼のように怒鳴り散らし…母は、泣きながらヒステリックにわめき散らす。
たまに、取っ組み合いになったりして、その度に、私とおばあちゃんが止めに入る。
そんなことが、日に日に増えていく。
それは、幼い私にとって、とてつもなく恐ろしく、悲しい光景だった。
「あの優しいお父さんが…あの明るいお母さんが…」
いつもとは違う両親の形相を、今でも忘れることはできない。

そして 「どうなるんだろう…どうしたらいいんだろう…」と、大きな不安に襲われた。
そんな晩は、必ずおばあちゃんと一緒に寝る。2人でブルブル震えながら寝た。

私が中学生になった頃には、もう夜の喧嘩だけでなく、普段から2人の仲は険悪だった。
母は、疲れ切っていて、父の身の回りの世話(ボタン付けやアイロンがけ等)をしなくなった。
そして、またそれを父がとがめ、喧嘩になる。

私が学校から帰ると、母が1人で泣いていることも珍しくなかった。
そんな母に「どうした?また、喧嘩した?」と聞くと「ううん…なんでもないよ」
始め頃はそう答えていた母だったが…そのうち
「実はね…」と、言って、私に色々打ち明けるようになった。
「お父さんが浮気をしている。相手の女は…」と、こと細かく話す。

聞きたくなかった…耳をふさぎたかった…

でも、その時の母は、私に話すことしか、吐け口がなっかたのだ。
私は、苦しんでいる母の心が、少しでも楽になるならと思い、いつも母の話を聞いた。
話しながら「ごめんね、あんたにこんな話しして…」と、泣く母に
「大丈夫よね~!なんでも話せばいいよね~!お母さんは悪くないんだから頑張って!」
などと、励ます自分がいた。

心から言ったような気もするし…無理して言ったような気もする。その時の記憶があまりない。

しかし…それから私は、大好きだった父を憎むようになっていった。
「汚らわしい」「お母さんをこんなに苦しめて」その事を、父にぶつけたこともあった。
すると、父は母に「娘にそんな話しをするな!!」と怒鳴り、また喧嘩になる。

「もうだめだ」みんなが、そう思い始めていた。
歯車は大きく狂っていた。もう、元には戻れないのだろう…そう感じた。

そして、ついに悪夢のような「その日」がやってくる。       ~つづく~

追記:思春期だったんですね~。自分が結婚してからは色々価値観が変わりました。 当時は、父ばかりが悪いと思っていたけど、今考えると、母も悪かったのです。母が弱いから、父が浮気をしたのか…父が悪いから、母が心が壊れたのか…。夫婦関係って、どちらかが100%悪くて壊れるということって少ないんじゃないかと思います。

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破天荒な親達(ひとまず完結編) [■ 生い立ち]

大恋愛の末、結婚した私の両親でしたが、その結婚生活はあまり順風満帆ではありませんでした。
(初めてのかたは良かったら「破天荒な親達その1~その2」を御覧下さい)(カテゴリー「生い立ち」の中にあります)

「その日」つまり両親が離婚した日のことを、事細かく話そうかと思ったのですが、

なんだかうまく文章にならず…(^_^;) なにせ結構激しい修羅場でしたから。

とにかく2人は離婚して、母が一人で家を出ていくことになったのです。

私は正直言って、淋しさよりも、「母が楽になる」という安堵感が大きかった。

その時は、その後一生母が

「子供を置いて出て行った罪悪感」に苦しめられることなど思いもせず…。


私以上に、悲しんだのは、おばあちゃんです。

妹はその時小学生だったので、何の事情も知らず、ある日突然急にお母さんがいなくなるんだから

無理もないですよね。


この夫婦…ほんと、いつまでも世話のやける人達なんです。

母は、6年ほど前、再婚しました。
父は、昨年再婚しました。(また、いつかこの話も聞いてくださいね)
2人共、10年前位からかなぁ~?私に、恋愛の相談をしてくるんですよ~!

(親の恋愛話しって、かなりイタイですよね)

ったく~!この「破天荒な親」のおかげで、

なんだか「しっかり者」にならざるを得なかった私。
(しっかり者なのかな?いや、無理をしているのかな?どうなんだろう?)

この人達が歩んできた道が、間違いなのか、正しかったのかも分からないけど…

悲しいことが、いっぱいあったけど…破天荒な親だけど

今では2人共「愛すべき親」です。 (まだまだ人生現在進行形。今後どうなるかわかりませんが)(^^)ヾ

こうしてブログに色々書いていると、色んなことを改めて見つめなおすことができるなぁ~と実感しています。
忘れかけていた思春期のころの気持ちや、今の自分のあり方etc...
そして、何よりみなさんの色々な経験を聞いて、みんな何かしら胸に重みを抱えて生きていらっしゃる
のだな~と感じ、「よしっ、私も頑張るぞ!」という気持ちになります!
そんなことを、こうしてみなさんとおしゃべりできることが、すごく幸せです♪
また、両親や祖母、妹のエピソードなど、思いつきになりますが、時々お話しさせてもらいますね~!


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悲しい歌 [■ 生い立ち]

たまに妹ファミリー(子供2人)と、私と息子達でカラオケへ行くことがある。

その時私と妹は、80年代の曲 プリプリ・松田聖子あたりを歌いまくる。

息子達がドン引きなことなど、お構いなしで(笑)

いつも「未来予想図Ⅱ」を妹が熱唱しながら泣く(笑)
(なんか昔の彼とのことを思い出すらしい)

そう言う私も 「M」を大熱唱して泣きそうになる。

中盤「つっぱりハイスクール・ロックンロール」を唄って、

最後は「待つわ」を2人でハモってしめる。

息子達の歌ももちろんちゃんと聞いてるけど…気持ちは結構80年代にいっちゃってる。

その時代の曲をきくと、胸がきゅんとするってことありませんか?

せつな~い気持ちになりますよね(-_-)

80年代の思い出の曲の中で、私とにとって忘れられない曲がある。

その曲を聴くだけで、あることを思い出して苦しくて、悲しくて、せつないので…

カラオケなんかでは、あえて歌わない。

両親の離婚後、小学生の妹には母がいなくなった現実がなかなか受け止められないようで

ものすごくふさぎ込んでいた。

朝、妹と2人で学校へ行く支度をして、私の方が30分程早く登校しなければならない。

妹が1人でテレビもつけずにポツンと座っているのを見て

私は、その頃気に入っていた「レベッカ」のカセットテープをかけてでかけた。

少しして、忘れ物をしたことに気付いて、走って家に戻った。

すると、妹が大きな声で泣いている。涙を拭きもせずに泣いている。

「どうしたん?どこが痛い?どうしたん?」

どこかが痛いのではないことは分かっていた。

「レベッカは嫌いよ~!この歌いやだ~!お姉ちゃんのバカー!」

そのときかかっていた曲は

「♪パパとママはいつも喧嘩してたわ 言葉のナイフとがらせ 本当は淋しいのに 傷つけあって…」

「NEVER TO LATE」という、とても悲しいうた。

「ごめんね、ごめんね、もうこのカセットかけんけんね」

2人でしばらく泣いた。

今は両親の離婚は、すっかり思い出話し。

なのに、この曲だけはあの時のまま…悲しい歌。



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シゲばあちゃんからの手紙 [■ 生い立ち]

私は、小さい時から、おばあちゃん子でした。

両親が離婚してからは、おばあちゃんが母親代わりでしたし…。
今おばあちゃんは、実家で、私の父と、最近再婚したよっちゃんと、妹家族(夫、子供2人)
と、暮らしています。

みんな、おばあちゃんのことは大好きなんだけど…
うちの父は、なにせ問題児ですし・・・
妹家族も色々と問題を抱えていて…結果的に、みんなおばあちゃんを悩ませてばかりです。

そんな、おばあちゃんですが、私に愚痴をこぼすことで、だいぶストレス発散になるようで
「あんたに話したらすっきりした」「あんたが言うたら、みんなが言うこと聞くから言ってくれ」
と、いった感じです。

ところが数年前から耳が遠くなり、補聴器をつけていますが、イマイチ聞こえが悪いみたいです。
最近では電話の声も、日に日に聞き取りづらくなっているようです。

実家は車で30分ほどの、ほんの隣町です。行こうと思えば、簡単に行けるのですが…
最近は私も、しょっちゅうは行かなくなっていました。

そして先日…おばあちゃんから、郵便で手紙がきたのです。
「手紙なんて…どうしたんだろう?」

手紙は、細々とした字で…「前略」から始まり、よそよそしい口調で近況が綴られていました。
そして最後の方に、こう書かれていました。

     私は相変わらず 耳が聞こえず、電話もままならず

     この、わびしい日々がたまらなく、貴女のことが忍ばれてなりません

     いつか、ゆっくりと話すことが出来たらと思います。

     人はみな 耳が聞こえて 楽しそう

                             かしこ


涙が止まりませんでした。
そして、すぐに実家へ向かいました。

「ず~っと、おばあちゃんと一緒にいてあげれば良かった…。
 結婚もせずに、ずっとおばあちゃんの孫のままで、そばにいてあげれば良かった…」


その時はパニクって、そんな事ばかり考えていました。
胸が苦しくて苦しくて…今までの色んなことが頭をよぎった。
あんなに、しっかり者で、元気なおばあちゃんが、こんなにも弱々しいことを言って…
「お父さんのバカ~!妹のバカ~!補聴器屋のバカ~!」
そんなことも思った。

実家の近くのスーパーの駐車場に車を止めて、涙を拭いて、心を落ち着かせることにした。
泣いて行ったら、またおばあちゃんが悲しむから…。
だんだん冷静になってきて

「私はお母さんなんだから…おばあちゃんも大切だけど、子供も大切、
 ”結婚しなきゃよかった…”なんて、思っちゃダメよ!」

そう自分に言い聞かせた。

気を取り直して、笑顔で・・・(でも、目とか鼻とか真っ赤だったと思うけど)

「こっちに買い物に来たから、寄ったんよ」 そう言うとおばあちゃんは嬉しそうに

「そりゃそりゃ、お茶でも入れようか」 と、立上がった。

そんな何気ない仕草も、なんだかせつなくて涙が出てきた。

「手紙が来ましたけど~」と言うと

「ありゃ~、もう着いた?昨日出したのに、早いね~!」

「涙が出たんですけど!」

「ありゃ?涙が出るようなこと書いたかね~?アハハハ」

顔を見たら、安心した。
手紙だけだと、なんだか思い詰めてるように、感じてしまっていたから。
それから、耳元への大声と、筆談を交えて、延々と一通りおばあちゃんの愚痴を聞いた。

一通り話すと、おばあちゃんも安心したのか、仏壇から饅頭やら、梨やら…
誰々さんの北海道の土産のクッキー何枚か、お中元で貰ったお茶漬けセットの何枚かなどを
部屋を、あちこち探しながら、紙袋に詰め始めた。

「もう、帰れ」のサインだ(笑) 

と言うわけで…春だし、おばあちゃんも、センチメンタルになったのでしょう…。

でも、やっぱり耳が聞こえないことが、とてもストレスなようなので、
もう少し頻繁に行ってあげなくちゃと思っています。

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元祖主婦リーナ・シゲのこと [■ 生い立ち]

前回は、耳が遠くなってきた祖母のお話しを、聞いてもらいました。
皆様、暖かいコメントをありがとうございました[黒ハート]
おばあちゃんは、大正14年生まれ。現在83歳。
振り返ってみると、本当に苦労の絶えない人生だったように思います。
幼少時代や戦時中の、興味深いお話しも沢山あるので、また追々お話しさせてもらいます。

今日は、おばあちゃんが結婚してから今までの、波乱に満ちた年表を見てやって下さい☆

  シゲ16歳・・・親に見合いをさせられることになったが、嫌でたまらなかった為
          1日中、庭の木の上に隠れる。
          しかし、本人の意思など関係なくいいなずけ(許婚)にされる

     20歳・・・1度しか会ったことのない「とも蔵」と結婚。

     22歳・・・幹夫(私の父)が産まれる。

     28歳・・・とも蔵32歳・肺炎で死去 (幹夫6歳)
                    ↓
           女手ひとつで、幹夫を育てるも、幹夫非行に走る。
           (当時の学校の先生からの、困り果てた手紙の数々を未だに箱に保管)
           (じょりー、こっそり拝見済み)

     45歳・・・幹夫が、嫁と子供(じょりー)を連れて来て、ある日突然「おばあちゃん」になる。
        参照→ http://syufuri-na-jory.blog.so-net.ne.jp/2008-03-06

     50歳・・・じょりー妹・ステファニーが産まれる。

     60歳・・・幹夫と幸子・離婚。幸子が家を出て行く。
                    ↓
           じょりー・聖子ちゃんヘアーで、可愛く非行に走る。
           (いつも泣いていたシゲ)
                    ↓
           ステファニー・非行に走る。
           (もう、慣れていたシゲ)

     69歳・・・じょりー息子産まれる。 ひいおばあちゃんになる。

     80歳・・・ステファニー・訳あって、夫と子供2人と共に、実家に同居する。
           (シゲ何かと大変…)

     82歳・・・幹夫・割と長く付き合った恋人「よっちゃん」と結婚。
           (幹夫58歳・よっちゃん50歳)
         (シゲ何かと大変…)

戦争も経験し、その後も何かと苦労の多かったおばあちゃん…。
だからこそ、広く強い心を持ち、私達を大きな愛で育ててくれたのだと思います。
今では、耳も遠くなり、年々小さく弱々しく感じることも多くなっていますが
まだまだ、現役バリバリのおばあちゃん!そんなおばあちゃんの趣味のひとつを
見てやって下さい!


P1010161.JPG P1010167.JPG P1010163.JPG P1010166.JPG


そう…クロスステッチ刺繍です[exclamation×2]
布の小さな升目に、×で刺繍していくという、根気のいる手芸です。
(写真がうまく撮れなくて)(^^)ヾ

なのに、おばあちゃんは肩がこったことが無いと言うのです~~[どんっ(衝撃)]
「あんたは、よう肩がこったとか、頭がガンガン痛いとか言うけど
 わたしゃあ、肩がこるとか、頭が痛いとか、なったことがないけ~分からんわぁ~」

だそうです[たらーっ(汗)]

おそるべしです(o_ _)o)) 
そんな、元祖主婦リーナのおばあちゃんの生き様をお手本に、私も頑張らなくてはいけません!
そして、これからのおばあちゃんの人生が少しでも、平和に流れていくように
出来る限りの事を、しなければ…と思う今日この頃でございます[かわいい]

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灰色の桜 [■ 生い立ち]

「町民プールの前の桜です」
私の父、幹夫から写メが届きました。
「町民プールの前の桜」という言葉を聞いただけで、
私は少しせつないような、恥ずかしいような、妙な気持ちになる。

それは20数年前・・・私の、高校の入学式の日のこと。
父と2人で学校へ向かう途中、町民プールの前に、満開に咲いた桜の木があった。
それを見つけた父は車を止めて
「じょりー!ここで写真を撮ろう!!」
と、言い出したのです。

その時の私はというと・・・
長いスカート、オキシドールで脱色したへんてこりんな色の髪にクルクル聖子ちゃんパーマ。
姿だけではなく、心の中もクルクルでへんてこりんで、そして真っ暗だった。

両親の離婚直後で、それまであまり関わりのなかった父と接する時間が多くなり
思春期の私は、父の事がうっとうしくて仕方がなかった。
入学式だって、母と行きたかったのに…。何もかもが嫌だった気がする。

その時の私には、満開に咲き誇る桜の花さえも、うっとうしく思えていた。
その淡い桜色も、私の目には灰色に映っていたのだ。

「写真なんか撮らなくていいよ」
通りすがりの人が、ニヤニヤと笑ってこっちを見ている気がした。
「もう!早く行こう!」
そう言っても、父のアプローチは続く…。

「いや~、娘が高校入学でしてね~!」父が、通りすがりの人と話し始めた・・・・・。
「こりゃ、早く写真を撮って立ち去らなきゃ!」
そう思い、私はしぶしぶ桜の木の下にしゃがみこんだ。
ニコニコと嬉しそうに、ファインダーを覗く父とは裏腹に、
私はとびっきりの仏頂面で、カメラに向かって眼をとばした。

そんな心の闇も、父への反発心も、時とともに自然に薄れてゆき、
私は楽しい高校生活を送ったし、普通に結婚もして、こんな普通のおばさんにもなれた。

その後も父は、ことあるごとに、その写真を引っ張り出してきては嬉しそうに喋る。
「この時おまえはふてくされとったよのう。アハハハ・・この髪!格好いいと思っとったんか?」
「もう~!その写真捨てとってや!」
「それにしても、ここの桜は綺麗じゃのう~~」 父はそう言ってしみじみ写真を眺める。

今では、あの時・・何故あんなに心が真っ暗だったのか、
何故あんなに父の事がうっとうしかったのか、よく思い出せない。
ただ…あの時の父の、ファインダーを覗く嬉しそうな笑顔だけは、鮮明に心に残っている。
そして、今になって分かる気がする・・・・私には灰色にしか見えなかったあの桜も、
父には、娘の門出と共に、さぞかし綺麗に映っていたのだとうと…。

そして今、満開の桜を見て、心から綺麗だと思える自分を嬉しくも思う。

昨日ことわざで紹介した「花盗人は風流のうち」は
綺麗すぎて思わず折ってしまう…というものでしたが
先日、故意に沢山の桜の木が折られたという事件を聞いて、ふと思った。
もちろん、そういうことをした人を擁護するつりはないけど…
もしかしたら、その人達の目と心には、桜は桃色には見えず、灰色どころか
桜の木にも見えていないのかもしれないのではないかと感じた。

今日はちょっとセンチメンタルエッセイストモードのじょりーでした( ̄∀ ̄)ニヤリ

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結婚式…その時父は [■ 生い立ち]

先日、素敵なパパのげんえいさん「40過ぎて何を思う」の記事で
「娘の結婚式までは泣かない!」というお話しがありまして…
私…自分の結婚式のことを思い出しました。

以前に、少し結婚式のことを書いた記事↓良かったら読んでください。
http://syufuri-na-jory.blog.so-net.ne.jp/2008-02-19-1

そして、私の父幹夫
21歳で「できちゃった婚」ならぬ「産まれちゃった婚」をした、
とんでもない父です。

私が学生の頃は、父は男関係にうるさく
中学生の時、家の前で同級生の男子3人と喋っていたら
「じょりーに何の用じゃ!用事が終わったらさっさと帰れ!」と言ったり…

高校生の時も、男子から
「刈山さん、いますか?」と電話があると
「うちは全員刈山じゃがのぅ~!」
「あ、すいません…刈山じょりーさん…」
「ガシャン!!」
みたいなぁ~

ハルヤマと付き合っていた頃は、特に大反対でしたし…(^^;)
でも、ハルヤマと私が別れた事に、自分が1枚からんでるということを
少し気にしていて…参照http://syufuri-na-jory.blog.so-net.ne.jp/2008-02-04
(ごめんなさい、今日はやたら「参照」が多くて)(^^)ヾ

その後は割りとゆるくなりました。
リュウジ先輩と極上のブツを交わしていた頃
参照(笑)http://syufuri-na-jory.blog.so-net.ne.jp/2008-02-22
すっかり、父も免疫がついていたようです。

話しがだいぶそれましたが…
今の旦那のことは、父は第一印象も良かったらしく、気に入ってくれて
すんなり、あっさりと結婚に至りました。
結婚しても近くに住むことになったので、シンミリという感じではありませんでした。

それが、結婚式当日の披露宴の時です!
父・幹夫が急に、歌を唄うと言い出したのです!

曲は「娘へのバラード」(東八郎) 御存知ですか?
♪おまえがこんなに綺麗だと 父さん初めて気がついた
 花嫁衣裳を 遠くで見つめ 思い出しているんだよ
 1人で初めて歩いた日 笑って見せたあの顔を♪

と、ここでセリフが入るんです。それを歌詞どおりに言わず…
幹夫…アドリブ入れちゃいましたよ~~!!

「 じょりー…お前は、いっつもお父さんに、似とるゆうて言われたら
 プリッと、はぶてよったよのぅ~…
 ほじゃけど、女の子は、父親に似た方が幸せになれるいうことに
 なっとんで~!ほんまじゃけぇ~…ほんまなんじゃけ~
 号泣~~

まぁ、どこの方言か知らんけど~(笑)自分でアドリブでセリフ言って号泣し始めました。
こりゃ大変!会場中ドン引き~~~かと思いきや…
会場中、号泣~~~[もうやだ~(悲しい顔)]
まさかと思い、隣にいた旦那をみると…号泣~~~[もうやだ~(悲しい顔)]
仕方ないから、私も号泣~~~[もうやだ~(悲しい顔)]
って、これ↑は嘘です。私も胸が苦しくて…涙があふれてしまいました。
父の涙を見たのは、その時が初めてでした。

余談ですが…父・幹夫は、私の妹の結婚式にも、この歌を唄い号泣しました。
さすがに、その時は私も、私の旦那も涙は出ませんでした(笑)

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タグ:結婚式 父親
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おばあちゃんと三兵衛さん [■ 生い立ち]

私の祖母のシゲは、私の記憶にあるだけでも、少なくとも20年は日記を書いています。
数年前からは「10年日記」といって、
1ページに10年ぶん書ける様になっているのを使っています!
そこには、その日あったことはもちろん、ちょっとした川柳や、購入したものなどが書かれていて…

って~~!ワタクシ勝手におばあちゃんの日記を見たんじゃないんですよ~[あせあせ(飛び散る汗)]

おばあちゃんは、たまに私に
「去年の今日、○○が熱が出とった」とか「3年前の今日、○○さんが死んだ」とか…
「いい川柳が出来た」などと言って、見せてくるのです。
だから…ついでに、他のページも見ていたら
「人の日記を見んさんな!」なんて照れくさそうに言いますが、笑っているので、
私はついつい、見入ってしまうのです(^^)ヾ

おばあちゃんの日記は、本当に面白いんです!
全部紹介したいくらいだけど…それこそプライバシーの侵害ですからね(笑)
でも…ちょっとなら( ̄∀ ̄)ニヤリ
おばあちゃんは、比較的おしとやかな人だと思うんですが…
時々「幹夫のバカタレ!」「ステファニーのバカ!」が登場します(笑)
参照→http://syufuri-na-jory.blog.so-net.ne.jp/2008-04-06-1

それから「最近じょりーは、太ったようだ。母親によく似ている。」というのもあった[たらーっ(汗)]

前置きは、このくらいにして… 相変わらず前置き長すぎ

先日も、おばあちゃんの日記を拝見していたら、数年前の所に
「じょりーと、三兵衛さんへ行った。」
と書いてあった。

「三兵衛さん???誰だっけ???」
おばあちゃんに聞くと、
「○○町に行った時、寄ったじゃろ。ハンバーグ食べたじゃろう。」
「ハンバーグ~~!?三兵衛さんと~~??」
「いいや~、三兵衛さんで、ハンバーグ食べたんよ」

[ひらめき]わかった!サンデーサンじゃね!」
「はぁ…さんでい、か…」

そうなんです!「サンデーサン」のことを「三兵衛さん」と思っていたみたいです。

あ、そうそう…サンデーサンはファミレスなんですけど、もしかしたら?と思って、さっき調べたら
西日本を中心に展開しているチェーン店みたいなので、知らないかたもいるかもしれませんね(^^;)


というわけで、おばあちゃんの勘違いや、いい間違いって面白いですよね~!
他のブロガーさんの所でも、時々そういうお話しを目にします。

みなさんの身のまわりの、おじいちゃんおばあちゃんの「語録」も、あったら聞かせてください~[黒ハート]
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